「いい人」をやめたほうが好かれる </br>「内づらと外づら」の心理

「いい人」をやめたほうが好かれる
「内づらと外づら」の心理

私はラジオ番組で『テレフォン人生相談』というのをはじめて、驚いたことがいくつかある。 その一つが、世の中に“外づら”がよくて“内づら”のわるい人がこれほどたくさんいるのかということである。

「主人はいったんぶつぶつ文句を言いだすと、夜中の二時、三時まで延々と言いつづけるんですよ」と奥さんが電話してくる。 「会社ではどうですか?」と聞くと、返事はたいてい次のようである。「それが模範社員らしいんですよ。それで誰に相談しても、私がわるいということになっちゃうんです」

返事の仕方一つで不機嫌になって、夜中までぶつぶつネチネチ文句を言われたのでは、言われるほうも言うほうも消耗する。いったん不機嫌になると、なかなかなおらない。
そこで奥さんが「とにかくどうでもいいからあなたの好きにしてください」と言う。すると「その言い方は何だ」ということになる。

当の本人自身が自分で自分をもてあましていて、自分にも自分がどうしたいのだかはっ きりしないのである。

内づらのわるい人は、身近な人より外の人と接しているほうが気分がスッキリする。その くせその人が心理的に頼っているのは、外づらを見せて接する人ではなく、不機嫌な内づらを見せる身近な人なのである。つまり自分が必要としている人と接すると不倫快になる、ということである。その人は生きていくうえで心理的に誰かを頼りにしなければならない。内づらのわるい人は、その人なしに生きていけないのにその人と接すると不倫快になる。

最近の大学生のなかには、試験になると不安になって母親を下宿に呼びつける学生もいる。 しかし母親にべタべタしっぱなしかというとそうではない。試験がうまくいかないと、母親をなぐったり、言葉で責めたりする。
そのくせ母親が地方に帰ってしまえば不安で大学にも行けなくなる。 親を心理的に頼りながら親に不満な中学生のまま大学生になってしまったようなものなのだろう。身のまわりの世話をしてくれないと不満になる。しかし身のまわりの世話をされると「うるさい」と感じる。「ほっといてくれ」と感じつつ、ほっておかれると腹が立つ。 そのくせ外の仲間にはいい顔をする。

中学生ならまだしも、サラリーマンになってもまだこのような人がたくさんいるようであ る。このような人々は外との関係においては機嫌よく振舞う。外づらはよい。しかし彼は 外づらの世界だけでは生きてはいけない。彼の心を支えているのはやはり内づらを見せることのできる世界なのである。

内づらのわるい人は、内側の人に対してはきわめて厚かましい。そのくせ外の世界の他者の意には身を低くして従おうとする。外の世界で他者の意志に敏感に反応して迎合するくせに、内の世界においては相手の意志や感情を一方的に無視して身勝手な自分本位の世界を押しつけてくる。

会社で気が引けてビクビタしている父親は、家に帰ってくると「もっと、もっと」というナルシスティックな愛情欲求で家族に迫ってくる。
こういう人は、外でなかなか「いい人」をやめられない。それでいて皆から尊敬されているわけでもなく、好かれているわけではない。

「いい人」をやめることは神経症を治すことである。

出版社: 三笠書房 (2018/1/22)
ISBN-10: 4837985157
ISBN-13: 978-4837985150

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