「自分の心」をしっかり守る方法</br>「くやしさ」「悩み」「モヤモヤ」が消えていく

「自分の心」をしっかり守る方法
「くやしさ」「悩み」「モヤモヤ」が消えていく

自分が人気があることをことさら強調したがる人がいる。
たいてい自分は皆に嫌われているという恐れを、心の底の底にもっている人である。 その嫌われているという気持ちから目をそらすために、必死で自分にも他人にも自分の人気を強調している。
考えてみれば、人気があるということなど、それほど価値のあることではない。大体人気者の心は寂しい。
それなのにそのことにこだわるのは、やはり自分は嫌われているという気持ちを抑圧しているからであろう。 誰もその人のことなど問題にもしていないし、あてこすりのつもりなどまったくないのに、 「どうせ俺のことを......」とか、「どうせ私のことを......」と怒りだす人だっている。
たとえば自分が不美人だとか、離婚したとかいうひけめがあると、そのことが話題になっただけで、自分のことを言っているのだろう、自分へのあてこすりだろうと解釈してしまう。

また、好きな人に電話して、「留守です」と言われれば、自分と会いたくないから居留守をつている 皆が自分をよけて通るとまでは思わなくても、あの人は自分を避けているのではないかと思う時はある。 電話をかけて相手がいなかった、そして相手が電話を返してこなかったというだけで、相手は自分を避けていると勝手に思いこんでいる人によく会う。そしてなんとなく、自分がそう思いこむのは、それなりの確かな理由があるような気がしてくる。

つまり、われわれが日常悩んでいることなども、ちょっと第三者的視点でながめてみれば、「まったくおかしなこと」「なんの根拠もなしに、どうしてそんなふうに思ってしまうのだろう」というようなことが多い。

知人がちょっと無愛想にしただけで、わざといじわるをしているのだと思ったり、そのためにイライラして仕事がうまくいかないなどということがある。
自分と関係ないことでも自分と関係があると思いこむ、自己関係づけの傾向は、日常生活 の中で誰でも思いあたることかもしれない。

ただ、ラジオのテレフォン人生相談のような番組を担当していて、いろいろな人の悩みを聞いて思うことは、「他人のやることを自分と関係づけて解釈するな!」ということである。とにかく「憶測をやめること」で、人間は多くの悩みから解放される。
 私たちはいろいろなことを、不安から憶測してしまう。
人は「困難そのものよりも、そこから色々な想像をふくらませることで心配したり臆病になったりしてしまうのです。中略。そう言う考え方のパターンが出来上がってしまうと、そこからなかなか抜け出せない。」とシーベリーは言っている。

 ある高齢者が死を前にして考えた。「自分がかくも悶え苦しんでいるのはなぜか?」と自らに問うた。そしてその原因を次のように書いた。
 「自分によくしてくれた人が最大の悪だった。
 自分に気持ちのいいことをしてくれる人が悪だった。
 何も害悪を与えない人を敵にしてしまった。
 自分のことを考えてくれた人をあざ笑った。
 自分が『けしからん!』と責めた人の方が実は自分を守っていてくれた人だったのだ」と。
 でも、そう気がついたときには遅すぎた。
 彼は「もう、どうにもならない」と書いた。そして晩年自分の周りにいる人達を「皆、殺したい」と呻きながら死んでいった。

この本を読んだ人が自分の無意識の部分で行動をすることを恐れているということに気がつき、いつまでもただ恨むだけで、結局卑怯な人間に都合よくあしらわれて、くやしい気持ちをもったまま生きることのないようになってくれれば、それにこしたことはない。

 この本は1988年に出版した『「くやしさ」の心理』を加筆再編集して出版したものである。

出版社: 三笠書房 (2019/5/22) 知的生きかた文庫
ISBN-10: 4837985955
ISBN-13: 978-4837985952

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