「やさしさ」と「冷たさ」の心理

「やさしさ」と「冷たさ」の心理

甘えとは、常に自分サイドに立ってくれる人を必要とする心理である。
 
好きな人が客観的な立場に立たれたら耐えられないというのが甘えである。
 
一緒になって相手を「けしからん」と言ってくれる人がいる。その人に甘えている。
 
一緒になって世の中を「けしからん、なってない」と言ってくれる人、一緒になって上司を「けしからん、何も分かっていない」と言ってくれる人人がいる。そういう人に甘えているのである。
 
あるいは一緒になって世の中を歎いてくれる人、一緒になって会社を歎いてくれる人、一緒になって部下を歎いてくれる人、それが甘えている人である。
 
家に帰って、同僚の悪口を言ったら、「私に言わないで、会社で言ってよ」と言う人には甘えられない。しかし理屈はその通りである。
 
家で帰ってから会社のことを言っても解決にはならない。同僚に言わなければ解決にはならない。
 
つまり甘えている人は、解決を求めていない。甘えている人は解決の意志がない。
 
よく悩んでいる人は皆自己中心的だと言われるが、実は悩んでいる人は皆甘えている人だと言っても良い。
 
悩みを通して隠された敵意を表現しているのであるが、同時に悩みは「甘え」の変装した姿である。
 
悩んでいる人は「私の気持ちを分かってください」と言うことである。
 
「私の悔しい気持ちを分かってくれ、不満な気持ちをくみ取ってくれ」と言うのが甘えである。
 
自分がこうしたら、周囲の人はこう反応して欲しいと言う要求を強く持っている人が甘えた人である。
 
自分が望む反応が周囲の人からかえってこないときに、怒りを感じるのが甘えである。
 
甘えは傷つき易い。甘えは自信のなさを表している。
 
甘えは子どもの頃は、自然な欲求であるが、大人になれば生きることに適していない性格である。
 
小さい頃、十分に愛された者は、甘えの欲求が満たされて、自分を信じて独り立ちできる。周囲の人の反応に自分の感情が左右されることはない。
 
しかし逆に小さい頃に、親から感情を押しつけられた者は、自然な甘えの欲求を完全に押さえつけなければ生きてこられなかった。しかし甘えの欲求は抑えることは出来ても、消えることはない。
 
自分が親に「こうあってほしい」と望むのではなく、親が「こうあってほしい」と望む自分にならなければならない。
 
甘えの欲求を満たすどころではない。逆に自分のなかにある自然な甘えの欲求を罪悪視しなければならない。
 
その結果、自分で自分に怯える様になる。自分が自分を信頼出来る人間とは大違いである。
 
そして自分の甘えの欲求を完全に押さつけた人は、自分が何を望んでいるかが分からなくなる。その結果不快感に悩まされ、不機嫌なひとになる。
 
不機嫌は甘えの心理である。不愉快ならそこを離れれば良い。嫌いなら別れれば良い。しかしその人から離れられない。

嫌いと言っても、本当に嫌いではなく、甘えを満たしてくれないから面白くないという不満の心理である。側を離れられないのは、その人への依存心である。

そこで不機嫌に押し黙っているしか、他にどうしようもない。

小さい頃に親から積極的関心を持たれた人は、大人になってそれほど脚光を浴びたいとは思わない。それは甘えの欲求が満たされているからである。

しかし関心を持たれないで成長した人は脚光を浴びたい。

そして脚光を浴びられなければ、そこに憎しみや怒りが生じる。

なぜ社会的に立派な人が、時に人間的に問題があることがあるのか。
 
それは社会的に立派である人が、甘えることが許されない環境で成長したからである。あるいは甘えを排除して成長してきたからである。

こういう人の最大の問題は人を信じることが出来ないと言うことである。
 
小さい頃、何かをするときに、励まされた人も居るし、逆に「何するんだ、危ない、怪我したらどうするんだ」と不機嫌に叱られた人も居る。
 
励まされたと同時に助けられた人も居るが、逆に迷惑がられた人も居る。
 
小さい頃から与えられたメッセージは全く違う。その全く違うメッセージでえ全く違った人間になっている。
 
自分の中のベストを引き出されて成長した人も居るし、ワーストを引き出されて成長した人も居る。
 
この本は小さい頃甘えの欲求が満たされないで、「自分は重要ではない」と感じてしまった人が、どのような人と付き合えば、問題を解決出来るのかを考えた。

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