人は相手の愛を信じられれば煩くまとわりつくこともなくなる。

子供が母親を嫌いなときである。「お母さん、お腹空いたから、ご飯作って」とハッキリと言えない。「お腹空いたけどなー」と婉曲に言う。母親に気づかせようとするのである。
 
「温かいものちょうだい」と言えない。「寒いけどなー」と言う。
 
そして「これをしてほしい」と素直に言えないで、気付いて欲しいと願う。そう思いながら相手が気付いてくれない。そんなときに人はイライラするのである。
 
テレフォン人生相談などに電話をかけてくる奥さんが「とにかく、夫があーだーこーだーとうるさいんです」という。妻にあーだーこーだーと立派なことをいって夫が煩いのは妻に愛情を求めているからである。妻に愛情を求めながらも、妻の愛情を信じられないから、あーだーこーだーと立派なことを煩く言うのである。
 
煩い夫は妻に素直になれていないのである。だから言うことが回りくどいのである。妻を嫌いな夫は「こうしてほしい」と素直に妻に言えない。
 
妻を嫌いなのに、妻の愛情なしには生きていけない。それなのに、妻から愛されているという確証がない。その確証を求めて、あーだーこーだーと煩く言うのである。
 
相手に対する煩いほどの注文は、それだけ愛を求めているからである。そして愛を求めている人に限って、愛を信じられない。小さい頃に裏切りと絶望を体験しているのであろう。そしてその傷から回復していないのである。
 
相手の愛を信じられれば煩くまとわりつくこともなくなる。おびえている人は、次のことが理解できない。また信じられない。相手は怒っても、自分のことを愛しているのだ、相手が不機嫌でも自分のことを好きなのだということが分からない。それが分からないうちは相手におびえる。
 
結局夫の煩さも、子供の家庭内暴力と同じなのである。子供も母親に愛情を求めている。しかし母親は自分の要求を満たさない。それで母親に怒る。怒ることでしか愛情を求められない。
 
子供が煩く母親にまとわりつくのは愛情を求めているからであり、母親の愛を確信できないからである。母親を信じられないからである。母親の愛を信じられれば煩くはつきまとわらない。