下手な琴ひき

下手な琴ひきが、かべをしっかりぬった家の中で、しじゅう琴をひいていましたが、その音がよくひびくので、自分では、えらく上手にひいているつもりになり、思いあがって、舞台に出なければならないと考えました。ところが、舞台にのぼると、まるきり下手にひいたものですから、石をぶつけられて追いだされてしましました。

自己満足の恐ろしさ、ひとりよがりの恐ろしさである。それにこの人はなぜ部屋を締め切ったかを考えない。自分のしていることに気がつかないで自分を凄いと思っている人は多い。慢心の恐ろしさである。
 
ある大学の学長を含めた一行五人がヨーロッパのある都市を訪問した。そこの同窓生達が作っている会の幹事が、仕方なく自宅に学長を招待した。するとその大学の人が「一行は五人です!」と抗議した。
 
その同窓生達は別に大学から給料をもらって会を運営しているのではない。自分達のお金で運営しているのである。外国の都市で必死で働き、ある意味で自分達の生活の維持と仕事で精一杯なのである。まだ人の世話を出来るゆとりはない。
 
しかし大学の関係者五人は、自分達は凄いことをしていると思っているから、全員招待されるのがあたりまえと思っている。自分達は偉いと思っている。「かべをしっかりぬった家の中で、しじゅう琴をひいている」琴ひきと同じで、世間から隔離された大学内だけで生活して居るから、自分達は偉いと思っている。琴ひきが「えらく上手にひいているつもり」になっているのと同じである。

私も外国生活は比較的長いほうだが、文化の違う外国で人の世話をするのは大変なことである。しかし自分が偉いと思っている人は、そうしたなかでも世話をされるのがあたりまえと錯覚している。

なにも慢心の恐ろしさは大学関係者ばかりではない。新聞記者にしてしかり、官僚にしてしかり、医者にしてしかりである。皆に石をぶつけられたときには、自分は昔、慢心していなかったかと反省して見ることである。
 
ある退職新聞記者が嘆いていた。新聞社をやめたら電話をかけてもけんもほろろに切られてしまうと。その元新聞記者は現役時代に慢心していたのである。悪いことをかかれては困るからその横柄な態度に皆は我慢していただけである。「石をぶつけられて追いだされてしましました」と言う下手な慢心琴ひきと同じである。
 
大企業をやめて自分で仕事を始めて、「石をぶつけられて」失敗する人は多い。大企業のなかに居たときに「えらく上手にひいているつもりになり、思いあがって」いたのである。日本の大企業なども「かべをしっかりぬった家の中」と同じである。
 
大企業でなくて出版社などでも同じである。自分の今居る出版社が「かべをしっかりぬった家の中」とは知らないで、いい気になり飛び出し失敗する人は多い。