カラスとヘビ

カラスがお腹が空いているとき、日なたに眠っているヘビを見つけて、上から飛び降りてきて食べようとした。ところが逆にヘビに食べられてしまった。カラスは、死ぬまぎわに「こんなに美味しそうなものを見つけながら、それに殺される。」と言った。

カラスはヘビを大きなみみずと間違えたのだろう。ヘビとは知らなかったに違いない。敗北するものは相手との距離感がない。相手を調べない。

そして烏はヘビをとる計画を建てていない。蛇をとる計画をたてれば、蛇を観察する。蛇についての情報を集める。カラスは意志が弱いから計画をたてることが出来ないで、無計画になる。

あっちにもこっちにも手を出す欲張りは何も手に入らない。仕事を成し遂げる人は仕事を一本にしぼる。欲の権化で行くと、することが沢山になり、無計画になる。
 
無計画になるから仕事をしても、実らない。むしろ逆にその仕事が命取りになる。目の前のお金を手に入れるのでさえ、計画が必要なのである。

神経症者はまぐろもステーキも食べたいと言う欲張りである。

目的もなく、計画もない。
何かしてくれと叫んでいる人がいる。
そう言う人は、自分から立ち上がれない。

計画通りに仕事をしている人が居る。
そう言う人は遊びの時間もとっている。

鬱病者は、
遊びの時間もとらないで、
朝から、どの仕事をしようかと迷っている。
結局何もできないから、
午後には焦っている。

それなのに周囲の人は、遊んでいると思って、
「頑張れ!」と言う。

ある人が会社をやめて独立した。すぐに土地をかった。しかしビルをたてるお金がない。そして借金に追われている。
 
計画をたてれば、自分の位置も考える。自分の置かれている立場もわきまえる。その結果、時間を待たなければならないということも分かる。

お腹がすいている時には、甘いものにはすぐ引っかかってしまう。関西でぼてじゃこと言われているものである。なんでもいいから餌が落ちてくるとそれにパクッと食いついて行ってしまう。
 
欲張りは、何でもいいから、自分にとって「いいなあ」と思うものに食いついてしまう。
 
関西のぼてじゃこでなくても、愛情飢餓感があるとすぐに甘いものに引っかかってしまう。その結果全てを吸い取られる。カラスが食べ物に困っていた時と言うのが、人で言えば愛に飢えていた時である。そう言う時には相手を全く見てない。

一番大事な事は甘い話にはすぐに飛びつかないことである。自分にとって相手は大事かどうかを見る。家族関係も友達関係も会社関係もまずは自分がしっかりと立つことから成り立つ。そしてその中で自分の心の安らぎとなる人達を、付き合う人として選ぶこと。

悩んでいる人は、先生のところにいきなり相談に来る。教室の前で熱心に聞いて、その先生に良い印象を与えて、関係を徐々につけていくと言うことをしない。

もし私がセールスマンだったら。
一日に五十軒歩こう、
それを50日続ける。

その後、その体験を分析する、
こういう家の構えの人達は、こう対応する、
こういう家では、自分はなぜか卑屈になった。

始めからセールスを取ろうとはしない。
セールスをするのに身支度をする。

畑だってまず開墾する。

自殺する様な人は、
準備をしないでセールスが成功することを期待している。

新しい事をしたら、
失敗は当たり前。
うまく行ったら恐い。

オーストリアの精神科医ベラン・ウルフは「ロマンティストが失敗すると運命を呪う。現実主義者が失敗すると自分の貧しい技術を責める。そして成功するまで頑張る。」「註、Calm Your Nerves、229頁」と述べている。

川を渡る時、愛を知っている人はどんな方法でわたるのだろうか。
 
まず、愛を知っている人は川と向き合い自分の位置をはかる。川の流れを観察する。川の深さを見る。そして自分の技量でわたれるのかもっとも安全な方法を考えるのである。決して無理をしない。こうして自分の知識と知恵と勇気と行動力で川を渡る。

ある日本の小さな不動産屋さんである。アメリカからの大きな投資の話が入った。それは山師なら喜んで乗る様な大きな話である。その時にその小さな不動産屋さんは「おかしいな、そんな良い話が自分の所まで来るのは」と言った。そしてその甘い話に乗らなかった。

後で分った事はそれはとんでもない詐欺の話であった。実に巧妙に仕組まれた罠であった。日本の土地が暴騰している時期である。どの不動産屋さんも舞い上がっている時期である。

日本の大企業が競ってアメリカに不動産投資をしていたバブルの時期である。この小さな不動産屋さんが「オレの出番だ」と喜んで良い。しかし彼は乗らなかった。あの時期に大企業の方はアメリカに色々な不動産投資をして結局大損をした。
 
小さな不動産屋さんの彼は自分の位置をしかりと知っていたのである。だから騙されなかった。良い話に飛びつくのではなく、何で自分のところにこんな良い話が来るのだと考えるからこそ騙されなかったのである。