金のたまごを生むメンドリ

ある人が、金のたまごを生む美しいメンドリを飼っていました。そのメンドリの中に金のかたまりがあるだろうと考えて殺したところが、中はほかのメンドリと同じようでした。この人は、金のかたまりを見つけるつもりで、いままでのわずかな金もなくしてしまったのです。

これも自分の位置を忘れた結果。この人はメンドリに食べさせてもらっているということを忘れてしまっている。自分が受けている恩恵を忘れている。
 
出版社を止めて独立する人がいる。なかには成功する人もいるのだろうが、私の知っている限りでは、はるかに失敗する人の方が多い。それはその出版社あっての自分という「自分の座標軸を忘れている」からである。自分が編集した本が売れている。それから考えると、自分の給料が少ないと不満に思う。
 
自分の力は凄いと思う。そして止める。しかし人が相手にしてくれるのはその出版社の人だからである。それを忘れて自分が、その出版社を止めても、皆から相手にされていると思ってしまう。

自分の今の幸運を、
当たり前と思った時に、
不運は始まる。

自分と付き合ってくれている人が、心優しい。
そのことを当たり前と思った時に、
不幸は始まる。

気がついた時には、
酷い人に囲まれている。

自分のことを良くしてくれる人がいる。
それでずにのった時に、
地獄の入り口にきている。

一度去ったその人は、もう戻らない。
なぜなら、
その人は、さる前に、できる事を精一杯しているから。

カレン・ホルナイは名声追求の強迫性について特徴のとして「満足しない、際限がない」と言う事をあげいいる。
 
つまり100点を目標にする神経症者は100点とれても120点が欲しくなる。いつも「もっともっと」と急き立てられる。とにかく際限がない。
 
カレン・ホルナイはもうひとつ神経症的傾向の強い人は「見境がないこと」と言う事もあげている。つまり「何をしても」もっともっと言う事である。すき焼きをこれだけ食べたで満足しない。もっと食べたい。
 
そのうえに「給料この位もらった」で満足しない。「いや、もっと欲しい」。「常に」「何についても」「もっともっと」である。

そこで「あなたはどの位欲しいんですか」と聞かれれば分からない。何だかわからないけれども「何でも」「もっともっと」欲しい。
 
これでは生きていて苦しい。欲しいものに領域も限界もないのだから。そこで常に心が満ち足りていない。いつも何についても不満。
 
皆が「あなたいい生活してるわね」と言っても絶対に満足しない。そしてもう何をするにも不安、この私がやる事は全部自信がない。

運動になると跳び箱を九段を超えたらきっと幸せになれると思っている。でも九段を超えたら今度は十段を跳べないんだから不満になる。そして不満は跳び箱だけではなく、他の事についても同じ事で、いつも何事も不満。何をしても幸せになれない。
 
私は跳び箱10段を跳べなければ絶対に幸せにならないと思っている。毎日がこれでも駄目だ、あれでも駄目だ、とイライラしている。今日も10段を跳べなかった。
 
そして他の事も全て跳び箱10段の考え方になる。だから生きる事が辛い。就職の時には大蔵省に受からなければ幸せになれないと思う。絶対に大蔵省に行かなければ私の人生はもう駄目と思う。行けなければ自分の今まで生きてきた事が全部無意味になると感じている。
 
心理的に健康な人は「跳び箱10段がそんなに大事なの?でも私は10段跳べないから、私は縄跳びをやってみる。縄跳び1000回出来るわよ。」って人である。自分の出来る範囲で自分の力を出す人、それが心理的に健康な人である。
 
心理的に健康な人は水泳をしても満足している。それで「ええ、プール?そんな事は世間では認めないわよ。」って言われても、心理的に健康な人は平気。心理的に健康な人は今まで生きてきた人生を自分が認めている。どんな人生でも自分が満足している。
 
もっと頂戴っと思っている人は自分自身の世界観を変えなければもっともっと自分の首をしめてしまう。
 
大事な事は今自分がこれでも自分は幸せなのかなと思うかどうかである。今この幸せの平凡な毎日が自分自身の力であって、今までの生きてきた証だと思うこと。この人生が最後に幸せにつながっている道だと信じる事である。
 
そうすればメンドリを殺さない。

心の空洞が埋らない。
そこで名誉がほしい。
空洞が大きければ大きいほど、
大きな名誉がほしい。
 
同じ名誉を得ても、生きる支えのない人は、
もっと、もっと名誉が必要になる。

同じ名誉でも、生きる支えとして名誉をほしい人と、
すでに生きる支えがある人が、名誉を求めるのとは違う。
 
同じ地位にいても一人は満足し、
もう一人は「もっと、もっと」と焦る。

心の支えを持っている人と、持っていない人では、
地位の持つ意味が違う。
心の支えを持っていない人は、
より高い地位で少しでも心の支えを強化しようとしているのである。
だから、「もっと、もっと」になる。

このイソップ物語と同じ様な話しを考えれば次のような物語であろう。
ゆで卵が健康に良いというので皆でゆで卵を作っていた。
6人の人がいたが、卵は3個しかなかった。
あるよく深い人がゆで上がってからでは、とるのが遅いとお湯に手をつっこんで火傷をした。

焦る人は夢がない。早くしよとすると今までの努力が無駄になる。よく深い人は一時間なら30分、30分なら5分と焦る。そして全てを失う。