61. 本物の親密さを知っている人が安心して生きることができる (『愛されなかった時どう生きるか』)

『愛されなかった時どう生きるか』より

神経症的な人間関係のなかで生きてきた者のなかには、小さい頃から「ほめられる」ことの多かった人がいるかも知れない。何が立派なことをやってほめられる。小学校の時成績がよくて「可愛がられる」、そんなことはあったかも知れない。
 
しかしそれらのことはみな報酬としての「愛」である。小さい頃お使いにいってきたがら頭をなでられた。何か親の気にいることをやったから「やさしく」された。そうして大人になり、また周囲に気にいられるようなことをしてほめられる。

だがこれらの人は、どんなにやさしくされ、頭をなでられ、抱かれても、親密さということを知らない。親密さというのは、報酬としての愛、報酬としてのやさしさではない。
 
何かがうまくいかなくても、それでもやさしくしてもらえる、というところに親密さは生まれる。だからこそ自然で正常な人間関係のなかで成長してこられた人は、失敗したらどうしようという不安に支配されることがないのである。だからこそものごとに挑戦的になれるのである。
 
それに反して神経症的人間関係のながで生きてきた者は、報酬としての愛、報酬としてのやさしさしが知らないがら、失敗を回避しようと不安な緊張にさらされ、できれば自分が試される機会を避けようとするのである。
 
うまくいかなかった時でもやさしくしてもらえる暖かさを知っている者は、安心してものごとに挑戦し、自分のなかに隠れている力を引き出すことができる。

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