加藤諦三の言葉 第69回 [2002/04/19]

他人にやさしくする動機を考える
安心感 (P.50-P.51)
(大和書房)

 他人に向かって、ほんの少しやさしくするだけでも、人間というのは満ち足りてくるものであるが、依存心の強い人は、他人に対してやさしくする動機が、他人に好かれたい、他人から拒絶されるのがこわいという動機であるから、やさしくしても精神的な満足感が得られないのである。他人から拒絶されるのがこわいという恐怖感から他人に親切にした人は、そのことによって、よけい他人から拒絶されることの恐怖感を強めてしまっているのである。しかし、他人に対するやさしい思いやりから他人に親切にした人は、その行為のなかでやすらぎを得るであろう。活動的な人のなかにも、恐怖感から活動している人もいれば、やさしさから活動している人もいる。その両者の違いは、本人のいらいらした気持ちを見ればわかる。いらいらしている側は恐怖感から活動的なのであり、やさしさから活動的な人間は、それなりにやすらかさを味わっている。そして、どちらが疲れやすいかといえば、当然、恐怖感から行動する人間のほうが疲れやすいであろう。なぜならば、恐怖感から活動している人間は、常に、ストレスにさいなまれているからである。ストレスが人間を疲れさすのである。



依存心の強い人は視野が狭い
安心感 (P.54-P.55)
(大和書房)

 依存心の強い人は、相手の土俵に乗って戦ってしまうという結果になってしまう。自分の土俵がない。他人に依存しない生き方をする、つまり能動的に生きるためにまず必要なことは、相手の土俵から出るということである。何度もいうように、依存心の強い人は、誰かとの特殊な関係がある。その相手の特殊な人が誰かということは、依存心の強い当の本人が知っているはずである。その人の土俵から外に出るということが、依存心克服のためには必要なのであろう。まず第一歩は、自分と特殊な関係になっているのは誰かを見定めることであり、自分自身にも、そのような特殊な関係をつくる要素があったということを認めることである。そして第二歩は、その相手の土俵から、自分が外に出ることである。依存心の強い人は、その特殊な関係を持った人の土俵のなかでしか、ものごとを考えることができない。それが、視野が狭いということである。



未成熟な人間がもつ幼児的一体感
安心感 (P.65)
(大和書房)

 情緒的に未成熟な人間は、自分に近い人間に幼児的一体感を持つ。親の場合なら子どもに対してそのような一体感を持つ。つまり子どもが、親である自分の感情の要求にしたがって動くことを期待する。先に書いたごとく、このような親は自分に近い人間に対して間隔を持って立っていることができない。自分に近い人間の感情のあり方に自分の感情が左右されてしまう。他人の感情に無頓着でいることができない。不機嫌な人間は他人の不機嫌に敏感であると書いたことと同じ内容である。今、幼児的一体感ということばで表現したのは、いろいろのことばを使い、いろいろの面からアプローチすることで、この未成熟な情緒を理解してもらいたいからである。情緒的に未成熟な親は自分の依存心から出てくる感情を、愛情という形で正当化する。愛情ということばで表現しても、実体は自分の子どもを奴隷化するということである。


BACK← →NEXT
「加藤諦三の言葉」目次へ戻る
トップページへ戻る

このページに掲載されている記事などの無断転用を禁じます。

Copyright (C) 2000-2006
加藤諦三、加藤諦三研究室