子供がテストで零点を取ってくる。

子供がおねしょをした。子供は困っている。神経症的母親は着代えさせる前に、「早く退かないと、ベットが汚れているでしょ、」と怒る。
 
心理的に健康な母は、「大丈夫よ、そのままだと風邪ひくから着替えましょうね」と、その子の心の傷を汲み取る。
 
子供が茶碗を壊した。子供は困っている。床が汚れている。神経症的母親は「どうして割ったのよ、早くかたずけなさい、怪我するわよ」と怒る。
 
心理的に健康な母は、その子の心の傷を汲み取る。子供の心は茶碗を割ったことで傷ついている。「怪我しなかった?よかったねー、ガラスは怖いからね」と言う。ガラスは怖いと言う教育もできてしまう。
 
子供がテストで零点を取ってくる。神経症的母親は「どうして頑張らないのよ、あなたが困るのよ」と怒る。
 
心理的に健康な母は、その子の心の傷を汲み取って、「隠さないでよく持ってきたわねー、今度から頑張ろうね」と慰める。隠さないことはいいことと言う教育もできてしまう。
 
子供を愛するとは子供に直接「好き」とか「愛している」とか言葉で言うことではない。子供の心をくみ取ることである。
  
子供と心のふれあわない母親は子供の肉体的な痛みしか分からない。子供の心の痛みは理解出来ない。だから腹痛を訴える子供に「大丈夫よ、薬飲んだから」でかたずけてしまう。
 
怪我をしたときに、お医者さんがした包帯がきつすぎる。そんな時に何も言わなくてもそれに気がついて、「きつくない?」といってくれる母親がいれば子供は安心して生きていかれる。
 
赤ん坊でも犬でも、言葉で表現できないときに、何を訴えているかを母親は理解する、この時に信頼関係が培われる。よくこんなことが分かってくれたと思うから信頼関係が培われる。
 
私は小学校のときに運動場を夢中で走っていて、硬いさるすべりの木にぶつかって倒れ、一瞬息ができなくなって、医務室に運ばれ、その日は寝ていた。そして家に帰った時「さるすべりの木にぶつかって倒れて、医務室に運ばれしばらく寝ていた」と言ったら「ワッハーハー」と母親に笑われて、おしまいだった。
 
もしその時に「吐き気しない?」と聞かれていたら、私の人生はどれほどの悩みから解放されていたか分からない。