子供は家の外で転んで怪我をして痛かった。

ナルシストは動物を見て、「可愛いーなー」と感じるよりも、自分が病気にならないかとどうかの方が心配で自分の体に関心を持つ。つまり外的世界に関心を持たないで、「病気を恐れてたえず自分の体に心を奪われている」(注、Erich From, the heart Of Man, 悪について、鈴木重吉訳、紀伊国屋書店、1965、84頁。)
 
なぜこの様に外的世界に関心がなくて、自分の体の些細な異常に細心の注意を過剰に払うのか。
 
それは小さいころ自分が夢中で遊んでいるときに「あら、あなた熱ない?」と言って額に手を当ててくれた母親がいなかったからであろう。そういう母親がいれば、自分で自分の体にそこまで関心を持たなくてよかった。自分の体に対する母親の関心があれば、自分の体に対する自分の関心は必要なかった。
 
ナルシシストは幼児期から自分で自分を守らなければなかったのである。誰も自分を守ってくれる人がいなかったから。そして子供の知恵で自分を守る習慣がついたから、間違った守り方しかできなくなっているのである。
 
子供は家の外で転んで怪我をして痛かった。家に帰ってきてその話をした時に母親が「痛かったのー」と同じ様に痛いという顔をしてくれた。そういう母親なら子供はナルシシストの大人にならなくてすんだ。
 
子供が「痛い!」と言ったときに母親が笑っていたのでは、子供の心は慰められない。そしてその時に「母親」が消える。他者が消える。自分が唯一の現実になる。
 
子供が辛かったときに「辛かったわねー」と母親が辛い顔をしてくれるから、子供は生きる実感を持つ。そして他者の存在が現われる。
 
ナルシシストの内面は「虚しい」というが、ナルシシストの内面はこうした体験から化石になっているのである。
 
母親の子供に対する関心が、子供の関心を外界に向ける。
子供のナルシシズムを満足させるには毎日子供を皮膚感覚で見ていなければできない。そしてただ真剣に褒めればいいというのではない。何を褒めるかを間違ってはいけない。
 
子供が何かを達成したときに褒めることが大切である。