なぜ母親は子供を急かすのか?(2)

子供がシャベルをほしいという。子供が本当にシャベルをほしい場合と、母親の関心を引くためにシャベルがほしいとわがままを言っている場合と二つある。本当にシャベルをほしい場合には与えることが望ましい。
 
問題は母親の関心を引くためのわがままなときである。このわがままは自分に関心を持ってくれという要求である。この母親に関心を持ってくれという要求がいつも拒否されると、自分で自分に関心を持つしかなくなる。
 
そして自分にしか関心のないナルシシストになっていく。
 
わがままな子はシャベルの次にバケツを欲しがる。母親が無関心にまたバケツを与えても満足しない。放任で次から次へと与えてもその子はわがままになるだけである。
 
子供がほしいのはシャベルやバケツではなく、母親の関心だから。そして子供は母親の関心を得られないまま、自分にしか関心のないナルシシストになっていく。他方、母親はこんなに与えたのにと思っている。
 
わがままな子供と格闘しているときには親は自分の子育ては失敗したのかと思ったりする。しかし大方は平凡な一市民になっていく。
 
むしろ問題は欲しいのに親に気に入られたいから我慢する子供である。あるいは欲しいという欲求を意識できないほど良い子になっている子供である。この子は二十年後には挫折している可能性がある。少なくとも三つのタイプの中で挫折の可能性が一番高い。
 
本当にシャベルが欲しくて欲しいとはっきりといえ、そして満足する子供は二十年後には仲間の人望を得ている可能性が高い。
 
もう一つ例を上げたい。アメリカでこんな話しを聞いた。車に乗ると愚図る子供がいる。母親がなだめてもなかなか言うことを聞かない。そこで母親が怒って道に降ろして走り去ってしまった。以後子供は車の中で愚図ることをやめた。
 
子供は愛の欠如の不満があるから、愚図る。置いて行かれることで不満を抑え込まれた。しかしその時親が他人になった。子供にとって親が他人だから相手の喜ぶことをするようになっただけである。
 
この子供は不満を言わない良い子になったが、二十年後に挫折する準備をしてしまった。
 
不満がなくて良い子でいる子は二十年後に仲間の信頼を得るだろう。
 
また愚図りながらも母親と格闘した子供は二十年後には平凡な一市民になるだろう。
 
子供に愚図られたときに母親は批判されたと受け取るから、腹が立って置き去りにしてしまう。むしろ信頼されたと受け取っていいのである。
 
しかし心に葛藤のある親はどうしても挫折タイプの子供を喜ぶ。そして子供が不満なことに不満になる。「こんな良い車に乗せてあげているのに」と感謝しない子供に不満になる。
 
大人になって挫折するいわゆる神経症的「良い子」は、小さい頃に無意識では不満なのに、意識では親に感謝している子供である。良い子になることで親に喜ばれようとしているのである。喜ばれるように振る舞うことで親はいよいよ他人になる。
 
表面的に見ると親子関係はうまく行っているようであるが、子供は憎しみを増大させている。