真面目人間の挫折例

第1節 き真面目な人の心の奥底にある憎悪と恨み

彼女は五十九才、ご主人は六十三才。ご主人の愛人に子供が居たと言うことが分かった。愛人は会社の元の部下で今は五十一才になる。
 
彼女は長いことそのことを知らずに居た、四、五年前に何となくおかしいと気がついた、そこで前からおかしいと感じていた女の家に電話したらお母さんが出て動揺していた。
 
そこで彼女は何か大変なことがあるなと感じた。調べていくと会社に月に二、三回出ていないのが分かった。家を建ててくれて喜んでいたが、良く考えてみると、その女性のために家を建てたことも分かってきた。「間取りにしても何にしても私にも息子にも相談しない、新しく家を建ててその女性と一緒に住もう」ということだった。
 
やがてご主人は愛人の持物を少しづつ家に運び込み始めた。同時に奥さんのものを少しづつ持ちだし始めた。
 
「私のものを持ち出したり、いろいろと向こうの女性のものを持ち込んだり、やることがだんだんと頻繁になって、子供のものまで持ち出して、向こうの好みで買ったものを家に持ってきたり。」息子には愛人の買ったものを着せようとするのか息子の箪笥の引出しの中のものを入れ換える。
 
ご主人の着ている下着が変る、日毎に嫌がらせは酷くなる。息子の引出しに女の下着を入れておいたり、彼女の引出しに女の着物が入り込んでいたりもした。「やることが小さいんだけれどもきついんです」
 
息子の電話台の下に香典の袋が五枚重ねておいてある。こたつを一式買い求めたら椅子の裏側が刃物で四角に切られている。段ボールの箱に大きな釘がたくさん刺さっていた。「コアラの首に私のネックレスを巻き付けて部屋の隅に置いておいたり、ローソクをたててマッチ箱を置いておいたり、家の中に身ぶるいすることが多くなって、そういう恐ろしいことがたくさん出てきたんです。」
 
それは全て愛人の指図によるようである。昔会社に居たときには、ご主人同様その愛人もき真面目な人であった。き真面目な人が物凄い憎悪と恨みを秘めていることがあると彼女に言うと「それなんですよ、同僚の人に相談しても信じてくれないんです」。彼女は四、五年苦しんできた。「この年になって離婚するのも,,」と渋っている。
 
愛人と夫が会社で極めてき真面目であるのは、自分では気づかないが心の底に秘められている憎悪と恨みが表面に吹きでてくるのを押さえるためである。自然にしているとその恐ろしい憎悪が外に現われてきてしまうので、それから自分を守るために意識的に極端に真面目なのである。
 
人は自分の中の不安や憎しみや葛藤や、それらを抑えようと必死で礼儀正しく振る舞うこともある。礼儀正しく振る舞うことで自分の心の中からそのような感情が噴き出して来るのを抑えているのである。礼儀正しさは防衛的性格である。そんな人は何か人前で下品な事を言ってしまいそうな不安を持っていることもある。それだけに余計意識的態度は真面目になる。

第2節 き真面目な人と嫉妬妄想

妻は些細なことを内心で真剣に悩み、夫は生真面目で四角四面な性格である。今まで夫に女性関係はなかった。しかし近所に幼馴染みの五十一才になる女性が居る。彼女はその夫の幼なじみの女性が気になる。
 
その人と何があったと言うのではないのだが、その人が通ると主人はそわそわすると彼女は悩む。その女性が午前中パートに出るのだが、その時に彼女の家の前を通る。そこでその時間になると、夫は必ず窓辺に行って、「えっへん」と咳をして合図をすると彼女は思い込んでいる。この確信は彼女の内面奥深くに根を下ろしている。最近は向こうの方も気がついているとまで彼女は主張する。「主人は真面目なので本当に真剣になったら大変ですし、主人の前では気づかないふりして明るく振舞っていますけど、どのようにしたらよいかと」と悩み、一人になると落ち込んでしまう。

「近所の噂になりかかったんです。私に対する態度は変りました。今まで買物に一緒に行っていたのに、近頃行きたくないと言うんです。」それは考えすぎと言っても承知しない。

「夫は彼女と気があってるものだから、」と言う考え方が頑固に固持される。夫の全ての行動がその女性にむけられたものと感じられて、彼女は惨めになってきた。
 
夫が日曜日は出たくないと言った。そのことまでがこの女性との関連で考えられる。日曜日に自分と一緒に買物に行かなかったと言うことを自分の存在に対する蔑視と受け取ってしまう。また夫がその女性をより尊敬している現れと受け取る。私がそんな事はないと言ってもなかなか納得しない。
 
「もしも、と言うことになったとき。肉体関係になってからでは遅い」と彼女は言う。それは杞憂に過ぎないと言ってももちろん承知しない。
 
彼女は自分はみすぼらしいと感じている。その自己不全感が彼女の嫉妬妄想の源にある。
 
若い頃彼女は自分はこの男性に値しないのではないかと言う不安を持ちながら結婚した。この自己不全感が彼女の生涯を通しての苦しみであった。そしてそれが更年期という時期に嫉妬妄想という危機的な様相を帯びて現れてきたのである。

第3節 き真面目な人と憂鬱

四十才の主婦である。「五年ぐらい主人とギクシャクしているんですよね。もう家庭内別居みたいなんですよ。」彼女は主人と顔を合わせたくない。夜も朝もご飯が出来ると、ご飯が出来ました、適当に食べてください、と言って自分の部屋へ引っ込んでしまう。ご主人は朝も一人で食べて出ていく。主人と一年以上一緒に食事していない。
 
口を聞くと言葉じりを捕らえた喧嘩しかない。そこで今は話をしない方が家の中は静かだと言う。
 
三年くらい前に手術をした時に、優しい心づくしがなかったと言うのがその理由である。彼女は体の調子が悪いのに、ご飯の支度をしている。それなのに主人はサークル活動をしている。
 
それまでは私は我慢して来ましたと彼女は言う。「夫婦喧嘩も好きでないので、子供の前でも十年も喧嘩をしませんでしたしね。私が我慢すればいいや、いつもそう思ってました」。それなのに「お前が悪いと言われると、私は何だろうなー」と彼女は思ってしまう。
 
彼女はその場その場でご主人に怒りを表さなかった。そこで憂鬱になる時も多かった。「自分はいさかいするのが嫌いだと言う気持ちが強いもんで」と自分の弱さを美化する。彼女は対立することが出来ない。不本意ながらも相手の言うことに従う。彼女は五年間いつも不本意ながらも譲歩してきた。そして怒りを貯め込んでいたのである。
 
彼女は「あの人は思いやりがない」と後になって非難する。しかし後で非難するより、その場で、私は思いやりが欲しいと言えばよい。しかしそれは言わない。何故か?それは怒りを我慢することで相手に罪悪感を抱けと秘かに要求する方が自分の恨みの気持ちにぴったりとするからである。
 
彼女は我慢しながらも主人が自分を理解してくれることを秘かに求めていたのである。さらに言えば、実は彼女はご主人に、私はこんなに我慢をしているのよと、罪悪感を持つことを要求しているのである。
 
ところが逆にご主人は私ほどいい主人は居ないと言っている。それが許せない。ご主人は「俺ほどいい旦那は居ないはずだ、少しは世間を知ってこい。俺は真面目だし、、」と言う。そこで彼女から見るとご主人は、「相手の気持ちをくみ取ってやろうという事が全くないんですよ」という事になる。
言葉もいつもお前が悪いと言う言い方しかない。気持ちのなかにぐさっときた。そこである日突然「あー許せないていう気持ちになってしまった.この人とこれから先も気持ちが合わないんですよ」。もともと気持ちが合わないのではなく、自分の気持ちを素直に表現しないことで「気持ちを合わなくさせた」のである。

第4節 き真面目な人の挫折

夫に女性がいるのに「夫と別れたくない一心」の四十二才の奥さん。一年前から夫に女性がいるということは分かっていた。夫から「離婚してくれ」と頼まれた。「主人はその女性を愛してしまっている、私には手がつけられない。」と嘆く。愛人は二年前からの部下である。愛人も会社で夫の後輩と結婚している。三十才ぐらい。「家にも一度来ました」。
 
売り言葉に買い言葉で、苦しいときには「離婚する」と言う。夫は土曜日の日に愛人に会いに行く。朝八時半くらいにそわそわして出かけて行く。愛人は子供を幼稚園に送って行って、その後いつもの場所であっているらしい。
 
「先日母が急死したときに、金曜日に意識を失って土曜日の日に葬式だった」。そこで彼女は夫に午前中実家に来て欲しいと頼んだ。しかし夫は会社に書類を取りに行かなければということでいけないと言う。「書類はその日でなくてもいいではないか」と頼んだけれども駄目だった。その足で来ると言うことだったが、実家に十二時まで来なかった。
 
翌日実家に行くのに車が必要で、鍵がないので主人の洋服のポケットを捜した。すると土曜日のモーテルのレシートと手紙が出てきた。愛人からの手紙には、主人以外にはほかの男性は考えられないと書いてあった。
 
「去年あたりは酷かったが、まだ未練があったが、これで私も決心しました。このことで耐えられなくなった」と言う。
 
「私はこの家にいると言うだけでほかに何もない」と淋しそうに言う。夫は子供とも会話なし、妻とも会話なし。朝も食事してさっと行ってしまう。「この愛人問題が分かったら会社を辞める覚悟はできている」と夫は言う。
 
「今まではこの様なことはなかったのですか?」と聞くと女性問題など起こすとは全く考えられないき生真面目人間だったと言う。「とにかく真面目で、真面目で四角四面でかたぶつで」。彼は今まで自分を守るために真面目であった。この様に防衛的性格としての真面目な男性が四十代を過ぎて恋に迷うとコントロールが効かない。
 
夫は自分でも頭がおかしいと言っている。「家庭を捨てて、どうかしている」と言いながらどうしようもない。「昔の真面目なおとーさんに戻ってくれ」と彼女は頼む。しかし夫は「もう嫌だ、今が面白くてしかたない」。女にとって都合の良すぎる男、度を越して真面目な男は、どこかで事件を起こす。