心の教育とはどういうことか?(3)

砂場で二人の幼児が離れて別々に遊んでいる。一人がバケツを持っている。もう一人の幼児が遊びながらバケツがほしくなった。するとバケツを持っている幼児のところにいって、何もいわずにバケツを持ってきてしまう。つまりその幼児はバケツしか眼に入らない。そのバケツを持っている幼児が眼に入らない。他人の現実がないということは、自分と相手の関係がないということであり、その砂場の状況がないということである。幼児は状況に関係なく自分の欲しいものに手を出す。 幼児は自分の心を満たすのが精一杯なのである。だから幼児は心が満たされれば、いい子になる。ゴタちゃんが大人になって、周囲が「あのゴタゴタを起こした子が、こんなに立派になって」と驚くのである。
 
幼児が砂場で遊んでいる。自分で城を作った。それにホースで水をかけて壊した。面白かった。気持ちが良かった。気持ちがスッキリした。すると他の子供の作った城にも水をかける。 相手という現実はない。
 
ここで母親にお尻をたたかれる。ここで他の子供の存在という現実を教えられる。他の幼児との関係で外界という現実を幼児は教えられる。躾で自分以外の現実を知る。
 
ここで例にあげていることはナルシシズムについての例であるが、心の教育の一つの側面は人が持って生まれたそうした種類の心の傾向を解消していくことである。