銀座の高級時計強盗事件は、大胆なのか?
「社会の外」にいる人の恐ろしさ
(2023年5月13日)

メディアの解説では、「大胆な犯行だ」というけれども、もし、その4人が学校時代の友達で、一緒の部活動をやっていたのだったら、「大胆な犯行」というのは、当たっている。

だけど、“お互いを知らなかった”、というのがポイントである。

今回の犯行は「お互いを知らなかった」からこそできた犯行である。

要するに、知っている人同士であるとすれば、それはできるはずがないがな犯行である。
そもそも、知り合いが作れなくて、コミュニケーションをとれないような人たちだからこそ、何にもわからなくて、驚く ような反抗に及んだ。

「なぜ、あんな危険なことを?」と言うけれども、ただ、それが危険だと言うことを、知らないだけの話。
白昼、大通りの犯罪が危険だと言うことを、感じない。
大胆でもなんでもなくて、普通の人が感じることを感じない。

人間関係ができる4人のような人達だったら、こんな犯行はしない。
今回の犯行は、お互いを知らない人達だからできた。
つまり、これが「社会の外」にいる人の恐ろしさだ。

「大胆」というのは、通常良い意味で使う言葉で、みんなテレビでは大胆だ、大胆だって言っているけれども、あれは大胆なのではなくて、ああいうことをやったら捕まるだろうという「当たり前のこと」を知らなかった、というだけの話である。

テレビでは大胆だ、大胆だって言っている人と、あの4人とは常識が違う。当たり前のことが違う。
 大胆だ、大胆だと言っている人と、あの4人が話し合っても話は通じないだろう。言葉が通じないのではなく、「気」が合わないからである。

大胆だ、大胆だと言っている人達は、なんとも言えない奇妙な感じを持つだろう。

みんな、「社会の中」にいる人がやった犯行と思うから、大胆な犯行と言う言い方しかできない。
「社会の中」の人の常識からすれば、やるはずがない行動だから。