オサマ・ビン・ラーデンの真の動機
人生の負担を前にして、大人も
「確実性と防衛と愛情を与えてくれる力を、狂気のごとく希望することよりも、より自然なことが人間にありえようか?」(フロム)
となる。
唯一の神アッラーの前にひれ伏すのがそれを表している。
唯一の神アッラーに一体化することで自分を防衛をしているのである。
唯一の神アッラーに一体化することで、予測不可能な人生に確実性を求めているのである。
それはフロムの言うごとく、確実と安全を求めること「より自然なことが人間にありえようか?」と言えるのではないだろうか。
ただしこれはあくまでも自己実現型の人ではない。
オサマ・ビン・ラーデンは自分の行動の動機を「宗教的信念」と主張しているようであるが、この宗教的信念というのが「母なるもの」の代理満足である。
そしてこのオサマ・ビン・ラーデンのアメリカ人を殺すという情熱こそが、フロムの言う「母親に対する愛着 -一般人には滅多に完全に克服されない愛着- には巨大なエネルギーが内包されている」と言うエネルギーのことである。
「正義」と「憎しみ」の構造―オサマ・ビンラディンは十六歳の少年だった!?
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加藤 諦三 PHP研究所 2002-02