テロリスト達の表現について

心理的に言えばテロリスト達は自己不在である。
その一つの例は彼らが自分自身の感情を持っていないと言うことである。
彼らの話すことを聞いたり、書いたものを読んでいると恐ろしく第三者的な表現が多い。

例えば2001年9月26日にスペインの小さな村で逮捕されたモハメド・ベラジスである。
ノートに彼の手で書いたと見られる文章が載っている。
それは「アッラーの示した道で死ぬのはなんと素晴らしいことだ」である。

この「なんと素晴らしいことだ」式の表現が問題なのである。
つまり何かを語るときに自分自身の生々しい言葉がない。
「僕は嬉しい!」といった類の表現がない。
それはちょうどアメリカのランチョサンタフェで起きたヘブンズゲイトと言う39人の集団自殺者達の死ぬ前の言葉と酷似している。

言ってみれば聖戦はテロリスト達にとって殉教という名の自殺なのである。
それは闘いを表現するときも同じである。
何でもかんでも「聖戦」なのである。
「苦しい闘い」と言う表現ではない。
彼らには聖戦と言う言い方しかしない。

さらに常に、周りの皆がそう思うだろうと言うことを書いている。
自分のことを語るのに、第三者的評論家的言葉なのである。
「血の最後の一滴まで戦う」等という表現である。
「闘いは苦しい」とは表現しない。